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2016/09/27

NIKKI

ここ3日くらい連続で多幸感が、一瞬だけあった。きっかけはなんだろうと考えていたのだけど、そういえば3日前はバイト先の店長に誘われて飲んだし一昨日も忙しそうにしてる友達と飲んだのだった。昨日に至っては訳あってビール入った状態でベタベタのラブソングを聴く状況が発生したんだけどその瞬間脳から快感物質?がものすごい出て自分で笑いそうになった。そのままの流れで今日はレコ屋に行った。ジョンゾーンとかデレクベイリー等のアヴァン系がたくさんあって気になっていたやつを買った。現代音楽とかアヴァンとかフリーみたいなのは結構当たり外れが多くてなおかつあまり安くないので結構緊張しながら買ったんだけど帰ってから聴いたらどれも良くて完全にハッピーになった。いま4/5聴いてるけど全部良い。フリーと思って買ったアーチーシェップが完全にファンクで予想外に良かった。フォークナー現象。新しい音楽を聴くのはいつも良いことなんだなと思い出した。最後にCD買ったのは7/2らしいのでおよそ100日ぶりで、その間はおんなじのばかり聴いていたから単純に新鮮でそれだけで嬉しい。ずっとこうしていられたらいいのにと思う。

 

2016/09/19

NIKKI

そもそもなぜフォークナーを読もうと思ったのかを忘れてしまった。普段から暇さえあれば古本屋に行ってばかりいるからどこにでもあるような気がしていたけど、数日かけて10件くらい回って2冊しか手に入らなかった。流行ってるのかもしれない。昨日熊という岩波文庫に入っている短編集を読んで、今はサンクチュアリを読んでいる。前情報ではなんかバイオレンスとか血みたいなふうにきいていたので熊は拍子抜けでよかった。肩透かしを食らってさらによかったというのはなかな珍しいのでは無いかと思う。普通にバイオレンスも血もあるけど予想していたのとは随分違っていた。ずっと昔に読んだ老人と海より断然良い気がするから新刊書店は今ヘミングウェイに割いているスペースを熊のために使ったらいいのにと思う。絶版だから無理なんだけど。一方のサンクチュアリは今の所なんというか予想に違わずという感じだからまだなんとも言えない。自然解凍した納豆の食感が無い。

熊 他三篇 (岩波文庫)

熊 他三篇 (岩波文庫)

 

 

サンクチュアリ (新潮文庫)

サンクチュアリ (新潮文庫)

 

 

2016/08/28

NIKKI

むかし祖父母の家に行くと曽祖父母はまだ生きていて、とくに曽祖母のほうが自分を可愛がってくれていた。かなり前のことなので自分が覚えているのは曽祖母と座敷で相撲をしたことと曽祖母と同じ布団で寝たことくらいだ。自分はまだ幼稚園に通っていた頃なので分別がなく、相撲をするときは一切の容赦なく勝ちに行っていたし、夜寝る時暑くてたまらないのにしきりに布団を掛けてくる曽祖母のことを鬱陶しく思ったりもした。曽祖母の部屋には古いラジカセがあって演歌のカセットを聞かせてもらったりした。今考えてみるとあの家で音楽が聴けるのはあの部屋だけだった。

それから数年後に祖父母の家は改築することになって、それまでの1階が2階の位置に持ち上がり、そこに車庫と倉庫が入った。雪国では冬の豪雪でも活動できるよう居住区を2階以降に構えることが多い。縁側と曽祖母の部屋は今はもうない。先の盆に数年ぶりにその家を訪れて、本棚が無く、音楽の流れないということに今更ながら気づいた。壁には遺影と従兄弟の習字が飾ってある。

2016/08/02

NIKKI

最近よく新刊屋に行く。だいたい1時間くらい見て回るのだが何も買わずに帰ることが多い。別に冷やかしに来たわけではなく、店に向かう時にはちゃんと何か買おうと思っているのである。しかしいざ本を探す段になると、急に家に積んである読んでいない本のことや、自分が働いている店にある茶色に焼けた本の安さなどを思い出して怖気付いてしまう。そのうえ自分のよく行く新刊屋は、古本で探しても見つからないものが置いていないことがほとんどだ。いわゆる名作とされるタイトルくらい常時揃えておいても良いのではないかといつも思う。数え切れない程たくさんある本のうち、買おうと思うものがないというのは非常に虚しい。その虚しさから1時間くらい粘るのだが、次第に腰が痛くなってくる。しかし自分の部屋へ手ぶらで帰るのもなんだか勿体無いような気もする。前の日と同じ部屋に帰るのは悲しい気分を起こさせる。そうしてもう一度回って、普通の人なら雑誌なんかを買うのかもしれないが、何も買わずに帰るのである。帰りに晩飯を買う時分になって、この金で本が買えたななどと考えるともうどこにも行き場がなくなっていっそ遠くに行きたいと思う。

2016/07/07

NIKKI

久しぶりの休みだったので外に出ず部屋でじっとしていた。本を何冊か読んだ。カミュの反抗の論理という、いわゆる手記というか、創作ノートのようなものの第2巻が新潮文庫から出ていて、それを読んで落ち込んだ。自分の普段思っていることのうち、他人には理解されないであろうことや、今更言うのも憚られるようなこと(それは決して言う必要が無いということでは無い)などを書物のなかに見つけるときに、安心すると同時にそれはもう何十年も前に言われているということに対する悲しさと、もどかしさを感じて素直に喜べない。現代においてもまだそれは色褪せずにあるのだろうか。確認するすべはなし。エンターテイメント全般に対する嫌悪は基本的に「何故そんなに能天気に楽しめるのか、本当に楽しいのか」という感じ方の違いからくるのであろうからして、どこかに同じような人間がいるかもしれないと考え落ち着くのもありかもしれないが、果たして自分と似たような人間をみて嫌悪が勝らないと言えるのか。抜本的改革が必要。本を読む以外には選挙に行かない理由を仮想のポリティカルおばさんに弁明する時のことを考えたりした。人は死ぬのでということしかいまは言えない。

 

反抗の論理―カミュの手帖2 (新潮文庫)

反抗の論理―カミュの手帖2 (新潮文庫)

 

 

 

2016/07/04

NIKKI

誰かを信奉することもできず訳の分からない理屈を信じることもできずそれをさも自分の意見で人に説くのも嫌でいろいろの事は分からないけどそういうものなんだと納得しきった様子で開き直るのも無理だしかといって何もしないことも叶わない、そんな状態で明るく元気にやっていくのは欺瞞ではないのかというのと同程度にそんな状態自体が自罰的パフォーマンスめいていて不快に思うなんて言わずにいられればいいのにね。素直が1番てマジ?

 

死霊(1) (講談社文芸文庫)

死霊(1) (講談社文芸文庫)

 

 

 

 

2016/07/02

NIKKI

かつて欲しかったものが、今はそうでもなくなってしまったことについて悲しむべきなのか悩んだ。