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どうして気持ちは楽になったのか

BOOK ZAKKI

夏季休業に突入したのでここ数ヶ月での心境の変化について書く。

以前より生きるのが楽になったし、もしかすると誰かしらのぼんやりとした不安に効果がある可能性があるかもしれないので書こうと思った。

かつての自分は絶対に変わったりしないという風に思っていたのに自分でもはっきりとわかるくらいに変わってしまったのだから人生何が起こるかわからないなと思う。

 

今年に入ってから比較的意識してたくさんの本を読むようにしていた。大学に通いながら週5でアルバイトしている関係もあってそれほど多くは読めなかったけど、でもまあできる限りのことをしたつもり。

 

どんな風に心境が変わったかについて書く前に、なぜ本を読もうと考えていたのかについて書く必要がある。

 

高校に入ってからずっとやっていた運動をやめたり、本を読むようになって、そういう(いわゆるナード、オタク的な)生活をしていく中で周りの人たちとか社会とか、そういうものに対する言い表せないイライラというか不満があった。それは別に憤りとかいう大層なものではなく、例えば普段は良い人ぶってる人間がちゃっかりやることはやってるみたいなことに対する妬みみたいなものも含んでいるようなアホくさいものだった(それだけではないけど)。

半年くらいまでのぼくは、自分や周りのそういう現状が「本来◯◯はこうあるべき、とかこうでなければならない」みたいな本来性からはずれた(疎外された)ものであることに全ての原因があると考えていて、その疎外に腹を立てていたんだと思う。本を読むことで自分の正当性を確認したかったし、本来性とはなんなのか、みたいなことを見つけられると考えていた。

 

ところが、本を読み進めていくにつれて本来性という言葉にとんでもない罠があるのでは、というような気がしてきた。

 

本来性(この場合「◯◯は本来こういうものである」という状態のことだが)は、それが存在するかどうかはわからないが、とにかくどうとでも説明が可能なものなのである。というか存在するかどうかわからないからこそ、それについて意見を持っている人間の数だけ本来性というものは存在しうるのである。

 

科学がこんなにも人々の生活に根付いているにもかかわらず、未だに宗教に生きる意味を求める人間がかなりの数存在している、という点を見てもそれはわかると思う。

ぼくは特に信仰のない家庭生まれたこともあって神(死後の世界)の存在について全く持って信じる素養がなかったが、本を読むにつれて「こんなにも頭の良い人間がそれでも神を信じているってどういうことなんだろう」と感じ、それっぽい本を読んで宗教がある意味で完璧なシステムなんだな〜みたいな気づきを得た。それに関してはまた別エントリ書くと思う。

 

なぜ神の話が出てきたかといえば、それは本来性についての説明するのにそれがわかりやすい例だからだ。本来性というのはその前提として物語を必要とする。「人間は◯◯で××なものです。だから〜〜であるべき」みたいな言説の、「◯◯で××なもの」というのがその物語にあたるもので、ここには例えば宗教が入ったり、進化論が入ったりする。

で、なぜ本来性が一意的に決まらないかといえば、これは完全に想像でしかないけど人間が死んだ後のことまだ分かっていないから、というのが大きいのではないのかと思う。もう少し厳密に言えば決定的な証拠がないっていうほうが良いかもしれない。もし科学的な実験によって死んだ後に何もないということがどうにかして観測されたとして、それは科学を信仰している人間以外にとっては特に意味を持たないから決定的な証拠にならない。

 

こういう状況は現代がそうであるだけでさらに時代が進むとまた違った状況になるのかもしれないけど(かつては色々な物語があることすら認められていない時代もあったわけだし)、一応今現在自分は上に書いたような状況であるという風に認識している。サヴァイブ系にかなり近い考え方だと思う。(もっというとサヴァイブ系は何もゼロ年代になって初めて出てきた考えではないと個人的には思っている)

 

ここから考えられるのは「全ての物語がある意味で間違っていて、ある意味で等価値であると言える」ということである。ある物語信仰を持った人間が他の物語を否定することはできるかもしれないが、両方の立場の人間が同程度の能力を持っていれば2つの物語同士の対立はおそらく最終的にお互いの妥当性を認めた上で「価値観(進行する物語)の違い」という結論に至るのではないだろうか。

 

 

ある意味で等価値である物語にもし差、優劣をつけるとしたら、それは「それを信仰する人間の数」というパラメーターが妥当なのではと考えている。これはある意味でルソーの一般意志の言い換えにすぎないかもしれない。まあこれはサヴァイブに関する方法論につながっていく話っぽいのでここでは置いておく。

 

 

話を本筋に戻す。どうして気持ちは楽になったのか。それは自分が信仰する物語を含めた全ての物語が等価であるということを自覚した為である。かつての自分が辛かったのは自分にとっての本来性が、現実態と食い違っていたからである。物語が絶対でないことからするとこの悩みはナンセンスだ。はてなミニマリスト祭とかも全部意味ない。

 

ニヒリズムっていうのはこういった考えに起因しているんだろうなとぼんやりと思っていたんだけど、よくいう消極的ニヒリズムってある意味で刹那的に生きるという物語を信仰しているにすぎないと言えるし、なんだかんだ積極的ニヒリズムの方がぼくは好きだなあと感じる。

 

 

本↓

 

方法序説 (岩波文庫)

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死にいたる病、現代の批判 (中公クラシックス)

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罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

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暇と退屈の倫理学

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シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)

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壁 (新潮文庫)

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社会契約論 (岩波文庫)

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異邦人 (新潮文庫)

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大栗先生の超弦理論入門 (ブルーバックス)

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フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

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ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

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DARK SOULS (ダークソウル)(特典なし)

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