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アウトプット

アウトプットは大切という話は多くの人がしているような気がするが、それと同じかそれ以上に多くの人がアウトプットに関して困難を感じているのではないかと思う。何を隠そう自分が大変困っている。アウトプットの重要性については散々色々なところで説明されているような気がするので自分は困難さについて考えてみた。ここでいうアウトプットというのは主に勉強や制作などといった自分の取り組んでいることに関するものである。

アウトプットするためにはまず自分の取り組んでいる事柄に何かしらの形をとらせなければならない。これができないとまず自分以外の人間には伝わらないだろう。逆に言えば他人に伝わる形をとらせるという作業を通して、自分自身の考えや進捗状況などを整理することができる。普段自分の頭の中にあるものを案外言葉や他の形によって表現するのは思った以上に難しいものである。ここで自分ができないことに気づく場合もある。

例えば思っていることをうまく文章にできないというとき、具体的にどのような困難さがあるのか。自分の場合はまず日本語の拙さが真っ先に思い浮かぶ。正しい日本語がきちんと書けないので逆に崩した日本語やスラングに逃げてしまうことが多い。これについてはほかに、きちんと書くことによってニュアンスがうまく伝わらないのではないかと感じてしまうことや、真面目にかくのが恥ずかしいといった要因も考えられる。今この文章を書いている時もどうしてこんなことを書かなければならないのかわからなくなっている。

多くのアウトプット信者が「どんなに完成度の低いものでもよいからとにかくアウトプットすることが大切、恥ずかしがってはいけない」といった発言をしているのを見た。しかしながら恥ずかしいものは恥ずかしいのである。なにか表に出すときにはできるだけよく見えるようにしたいというのが人情なのではないか。しかしこれはまあ自分で納得できる水準まで自分を鍛えるしかないのでは?としかいえない。自戒を込めて。

ただ手っ取り早いのは文体をガッチリ固定してしまうことなのではないかと思う。過去の投稿を見てもらえば文体がブレまくっているのがはっきりと見て取れるだろう。その時の心境や直前に読んだ文章に影響されやすいので毎回そのことが気にかかって肝心のアウトプットに取り組めない。だから逆に文体を固定するのはアリなのかもしれないと思う。

もう一つは月並みだけど定期的にアウトプットすることに決めるのも有効な気がする。他人に見せるくらいの量になるまでためてそれから形にするとか、自分で納得のいく水準に達するまで修行するとかっていつまでかかるかわからない。その前に死ぬかもしれない。

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最近なにか色々やってるのだけどどうも自分でわかりにくいのでアウトプットせねばなと思いつつ数日経ってしまったのでとにかく何か書こう、と思って書くこと決まらずにまた数日経ったので面倒になって思っていることを書いた。結局質の悪いライフハックぽくなってしまったけど実際こういうこと考えてしまう性格なのは仕方がない。唯一の慰めは自分がライフハックを大学の1年で卒業したということと自己啓発本に至っては生まれてから一度も読んだことがないという事実のみである。

また近いうちに書く。