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2016/05/01 ( ネタとかベタとかメタとか 2 )

確かに昔とくらべると作品に対しての姿勢というものが変わったかもしれませんそれは例えば自分が歳をとってそれなりになにかしらの経験をしてきたことや鑑賞における作法だったりを多少なりとも心得てるようになったことも関係がありそうですはっきりと言って仕舞えばどんなものを見ても退屈なことがほとんどでこれはもしやというものもどことなく求めているものと違うような気がしたりでは求めているものとはなんなのかと聞かれたらおそらく答えられないしだいたい求めているものが与えられるというのはどうも胡散臭い感じがしてそれはそれでいかがなものかなどと考えてみて結局わからずただ不器用に自分の目や耳を鍛えるしかないなどと考えつつよなよな摂取し続けておりますただそういった行為を重ねれば重ねるほど退屈はますばかりか驚くことさえ少なくなってきていよいよ如何ともしがたくなってまいりました作品に接する時はたして作家の意図を汲むことやなにを狙っているのかを考えるという行為自体もはや意義を感じることすら難しいですしかと言って作家のことを完全に無視するというのもやはり困難でさらにみているときの自分の状態も如実に現れるので本当に難しいアメリカンニューシネマからは虚脱感をゴダールからは快感をといった風にそれぞれ楽しみ方を決めてかかるというのも一つの手なのかもしれませんがそれ以上にもいかにもならずただ虚しさだけが残るのですさらに私のなかにある種の禁欲的な側面が映画を見てただ心地よくなるということを嫌うためにどことなくストイックな体勢をとってみたりするのですが実際鑑賞という行為にストイックさを持ち込むのは難しい問題で毎日評論文をかくとかそういった行為が果たしてストイックと言い得るのかもわかりませんしそうなるともうとにかくやっていくしかないという気概だけでただ淡々と摂取し続けています